妻へ

薫谷 風子

 

 拝啓、明美。

 

 御元気ですか。なんて聞くのも可笑しいですね。

此の頃雨が多いと思つたら、今年も又、六月が巡つて来るのですね。貴女が眠るやうに旅立つた、あの瑞々しい六月が。

 六月の気候は紫陽花のやうに移ろひ易い。

 刹那として同じ表情を見せない。

 純粋で、艶やかで、しかし何時も物憂げで、生ぬるい午後、ひんやりとした首を私に預けてくる。

 束の間の太陽や小さな虹、庭のほんのり甘さうに光る水滴にも、何時か貴女と見た風景が思い出され、そつと隣に在るはずの手を握つて見るのです。

 しかし細く白い貴女の美しい手が其処に在るはずもなく、幻想は微笑みだけを残して、消えて行くのです。貴女の植えたあの紫陽花に架かる、小さな虹のやうに。

此の家はとても広くなりました。

 私の心のやうに、ぽつかりと空虚な部分が、何処までも広がつてゐます。しかしいづれ此の空洞も、息子の成長と共に狭まつて行くでしやう。

 さふなる前に、貴女の居場所が在る内に、出来たら会ひに来て呉れませんか。此の空洞を埋めるやうに此れからも、幻影で構わないから、会ひに来て下さい。

 貴女の透明な幻は、私の心を一層痛め付けるけれど、此の痛みが在る故、私は貴女を愛した事を忘れずにゐられるのです。

 雨降る限り、一緒にゐて下さい。容赦ない夏の太陽が、貴女の儚い幻影を揺らりと消して仕舞ふまで、だうか、一緒に。

 八月十五夜の送り火には、窓を開けて、貴女をちやんと送つて上げます故。

ええ、屹度……。

 本格的な夏に成れば又、貴女を思ひ出す事も無く、普段通りに過ごせるでしやう。

 移ろひ易い季節の中で、貴女だけが永遠です。しかし、其れを思ひ出す私の心は永遠では在りません。

 一つ一つ、忘れて行く私を赦して下さい。

 少しずつ、胸の痛みが薄らいで行く苦しみを、だうか理解して下さい。

 其の分私も、貴女の元へ一歩一歩、足を進めてゐるのです。六月が来る度に。

 さふですね、そろそろ息子が帰つて来ます。

 貴女の事など何も覚えてゐない息子が、今日もランドセルを雨に濡らして、元気な声で、ほら、ただいまつて、聞こえましたか。

 それでは、この辺で終わりにしておきます。

 また、ふとした折に笑いかけて下さい。

 何時までも愛してゐます。

敬具

 六月四日(水) 幸弘








 薫谷さん、作品提供感謝いたします!
 梅雨がそろそろやってきます…自由な髪質の持ち主の方は、ちょっと面倒な季節ですね…。私も苦労してます…。
 この作品を読むと、雨が…美しく、切なく思えました。近頃見なくなった手紙の形式も、素敵です。
 原作とは一部(パソコンにあまり詳しくない管理人の所為で…)異なります。












SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送