スカラーに従えば


水無月星火

 ほんの些細なことだった、少なくとも、あの人にとっては。けれどそれはあまりにもあたしが思っていたこととぴったり同じで、いっそあたしへのあてつけかと思ってしまった。

「被害妄想ですよ」

「わーってるっつーの!」

 だんっとテーブルを叩いた拍子に焼酎入りのコップが倒れそうになったが、反射神経の良い後輩の右手のおかげでカーペットに酒を飲まれる惨事は免れた。

「ちょっやめて下さいよ、これこの前買ったばっかなんですから」

 と言って示したテーブルは一人暮らし用にしては大振り、しかし大人数で囲むには少々小振り。

二人で酒とつまみを広げるのにはジャストサイズ。

「おーだーまーりー! か弱い女の子の拳一つ支えられないような家具など買うんじゃない!」

「か弱い……

 微妙な表情をしやがったそいつの脳天にすかさずチョップをお見舞いしてやる。後輩指導は先輩として欠かさざるべき仕事だもの。

「こういうことしながら言うセリフじゃないっしょ……

 ぶつぶつ言いながらもつまみのポテチを追加して皿にあけてくれるこいつは、なかなかいい奴だ。

 そしてそんなところにつけこんで毎度毎度愚痴を零しながら酒をかっくらいに来ているあたしは、なかなか最低な奴だ。

「だってさ、だってさぁ! ほんっとあたしが言って欲しかったのとまんま同じだったのよ?! しかもシチュエーションもばっちり一緒! ぜーんぶおんなじだったのに……

 唯一違ったのは、言われる相手。

 言われたのは、あたしじゃなくて、あたしの友達。

……そりゃあさ、元々あの子の方が料理は得意だわよ。あたしの作ったのなんて所詮付け焼刃でしょうよ」

「そんなことないですって。先輩も充分料理上手ですよ」

 ああ、相当酔ってるんだろうか、こんなフォローにまで涙腺が緩んでしまいそうになる。

……冗談で良かったのよ」

「彼女に言ったのも冗談ですよ」

「ならあたしにも言って欲しかった」

「先輩は単にタイミングが悪かっただけですって」

「そんだけじゃないよ、きっと……

 あの子と彼は普段から仲が良い。ので、あんな言葉を彼女に発したのは、ごく自然ではあったのだけれど。

「『お前、俺んとこ嫁に来い』」

 反復して、再び凹む。

「あたしだってさぁ、つかあたしの方がさぁ、奴に餌付けしてる回数は多いっての。にーもーかーかーわーらーずぅうううう!」

 きいいい! とすかさず握らされた缶チューハイを一気に煽り、空いたそれを勢いよくテーブルに置く。中身のなくなったそれは、カンッと軽く空しい音を立てた。

「あームカつく! ね!」

「いや、ねって言われても」

 どうにも気が収まらなくて、少なくなったチータラの山を征服しにかかった。

 が、次の愛すべき後輩の言葉に、あたしの手はぴたりと止まる。

「でも嫌いになれないんでしょ?」

……だから余計ムカつくの」

 くわえたチータラがぷらぷら揺れるのを、空ろな視線で追った。

 いっそのことあいつもあの子も大嫌いになれたなら、どんなに楽なことかと。

「うまくいかんね……

 結局いつものように寝こけてしまった先輩に毛布をかけた後輩は、食い散らかされた後始末を始めた。

 スーパーのビニール袋に燃えるゴミを詰め、空き缶空き瓶をまとめてテーブルを綺麗に拭いて一息つき、言語表現不能な寝言を漏らす先輩を眺めやる。

「うまくいかない、ね……

 ついた溜め息は思いの外重々しくて、苦笑してしまった。

「ほーんと、うまくいかないもんだ……

 あまり可愛いとは言えない寝顔を晒す無防備な先輩に、普段だったら絶対ありえない距離まで近づいて、ぽつりと一言。

「そんなに辛いんだったら、私にしとけばいいのに」





 スカラー量に従えない かくも難儀な恋模様。






〔終〕



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