夏の日

                   夏八木カモ





もう五時を回るというのに日が沈まない。白い太陽は、高いところにどっしりと座をしめ、黙って焦げている。

乾いた洗濯物を抱えて、のろのろと夏の庭を歩く。無理していっぺんに抱えたせいで前が見えない。首を横に曲げて、足元を確かめる。

乾いた砂利。砂っぽい感触は、足の裏から伝わってくる。一歩前に出すたびに、ビニールのつっかけがキュウキュウ鳴った。

胸の中の洗濯物は、肌に刺さるくらいに硬くなっている。我が家の洗濯は柔軟剤を使わない。だから干物みたくばりばりに乾く。ここのところは、朝洗濯物を干せば、昼には乾くような天気が続いている。そのせいもあってか、なお硬いように感じる。

暑いという言葉を聞かない日がない。

 毎年そうだけれど、夏はそういうものだ。けれどどこか割り切れない部分があったりして。

「ああ、暑い」

「こうも暑いと何もできない」

無駄な言葉だなぁと思う。でもどうにかできるものでもない。あながち無駄でもないのだろう。

ふっと、風呂上りに乾いたタオルが吸い取るしずくを思った。唐突に風呂に入りたい衝動に駆られ、額を手のひらで擦ってみる。じっとりぬれている。風呂に入って汗を洗い流したい。ざっと汗を流した後の、涼しさが欲しい。

緑の庭に降る光が、じりじりと私の旋毛を焼いている。

日が沈まないうちは外に出たくないと思っていた、はずだった。でも、洗濯物を取り込もうと思った。なんでだ? 夕方になって暗くなればなったで、外に出るのが面倒になると思ったからだろうか、それとも…

自分のことなのにわからない。きっと思い立つまま動いているせいだろう。

旋毛が熱い――でも、これでもかというほどに、髪が茶色くなるまで焦がせばいいさ――洗濯物が乾いていい。

そんな投げやりな気持ちになれば、昔浴びた理不尽な言葉が思い出される。一つを思い出せば、アリの行列のようにつながって次々思い出されてくる。列を組んで食料をせっせと運ぶ、何百という数の子虫の列。運ぶのは生きるためなのか? それとも意思とは違う何か――自然か不自然か――に操られ、そして動かされているのか?

 いつだったか、そんなことを朧げに思って見つめていた。ああ確か、あれもまた今日みたいな暑い夏の日だったか。

蟻の行列の最後は絶対に見つからない。永遠に続くからだ。けれど私に襲い掛かる理不尽はすぐに途切れる。だから最後のきれっぱしを掴んだがはやいか、むき出した恥ずかしい感情が現れてくる。そして何処にもしまえない程に大きな黒い塊を、何も言わずにどっさり置いていく。

沈む感情を、どこにもやれない。

少しずつ思い出すことができたなら、きっと余裕をもって見ることができるだろうに、そのコントロールができない。だから、私はいたたまれなくなってしまう。頭のほうは理解しているらしい。けれど、あの言葉を


「あんた、気持ち悪いんだけど」

咄嗟に消そうと目を瞑った。白から黒へ、開けるとまた元どおり、白に戻る。これを思い出したら、あれも、また別のあれも全部蘇ってきてしまう。ここで止めなくちゃ。止めたらきっと、また元に戻れる。そうだ、大丈夫だ。

 

大きく息をはいて、落ち着いた自分を想像する。大丈夫だ。ずいぶん上手くやれるようになったじゃないか。よし、いい機会だ、壊れ物をそっと動かすようにでもしていい、思い出してみようじゃないか。白昼夢のようなあの日のことを。そして、あの頃の出来事を。




それは教室の中で呼吸していた頃の話。そう昔のことでもない。記憶は鮮やかだ。

毎日自分の殻に閉じこもっていた。

話さず、目を見ず、語らない。

なぜって、心を消すやりかたを考えていたからだ。いや、そういう振りをしていたかったのだろう。誰かのエッセイにあった『学校を乗り切る方法』を真似て、机に三六五本線を書き、一日終わるごとに一本ずつ消していった。でも本当は、そんな様子を見て気持ち悪がって欲しかった。どんな形であれ、自分の存在を示したかった。

私は孤独だった。けれどそれを望んでいたわけではなかったのだ。学校は息苦しく、でも唯一の居場所であったし、そこで上手くやれないことに関しては仕方ないと思ってもいた。けれど…それでも私は不器用に、自分を表現していたのだ。誰にも気付いてもらえなかったけれど。

くだらない学校。くだらない勉強。

辟易しながらも私は戦っていた。何もしないようでいて、何かを見つけようともがいていたのだろう。誰かに期待し、自分に期待し、そして裏切られ、自分で自分を裏切る。それを何度繰り返したろう。

青かった。浅はかで、どこかに答えがあると信じていた。

けれどある日、気付いてしまった。

私って無駄な人間なのかもな…と。

自分に寄り付く人間はいなかった。殻から出たり戻ったりを繰り返しているうちに、誰にも相手にされなくなってしまっていたのだ。それに気付けば、ますます孤独になった。

結果として、教室で居場所がなくなった。もともと無かったといえばそれまでだが、少し努力すればなんとかできそうだった座る場所すら、私は見つけ出すことができなかった。どこにもなかった。休み時間がなければいいと、何回思ったことだろう。そうこうしているうちに、だんだん自分が嫌いになっていくようで怖かった。やがて、自分が消えればいいのでは…と思いながら過ごすようになった。だから何かを肯定することができなくなったのだろうか? 

自分を見失い、私は大きな大きな暗闇を歩いた。崖のような、茨の道のような、谷底のような、危うい道であった。それはすべてが見えないことと同じであった。

現実では、同じ音楽ばかりを聴いて一人が好きなように装っていた。忙しいようで暇だったのは、それくらいしかできなかったからだろう。そして、しまいには誰も信じられなくなっていた。



閉じた目を開ける。

悲しかったなぁ、高校の頃は。

けれども今思えば、それはプライドを大切にしすぎた所為だったかもしれない。悲しいのはもう思い出になっているからだろうか…いや、思い出にするにはまだ時間がかかりそうだ。痛むハートを放置できないのは、きっとまだ自分が青い所為。だから時間が解決する、そう言い聞かせるしか、今は手がない。

ぐらっと体を揺すった。すると抱えた洗濯物から、白い靴下が片方ぽろっと落ちた。続けてまた一足。そしてタオルまでひらり、ひらりと落ちていった。

「ちょっと…」

腰を曲げて拾おうとしたが、洗濯物は次々落ちていった。面倒なことになった。仕方ないか、とそのまま落し物は置き去りにして、両手に残った洗濯物だけを縁側に放り込んだ。そして薄暗い家の中を覗いて叫ぶ。

「ねえー」

返事がない。誰もいないようだ。仕方ない、後で自分がたたもう。ぐっと両の手を天に向けて突き出した。

「…うう…ぅん」

伸びを一つすると、曲がっていた背筋がしゃきっとした気がした。落とした洗濯物を拾いに、もう一度庭に出ようとする。

その時、暗い土間の黒電話が鳴る音を聞いた。









続きは…部誌で!!


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