ひこうき

 (夢だるま)







「よしっ」

高さのある玄関を下り、紙ひこうきを持って外へ飛び出す。春雨が上がった空の下を駆けていく。久しぶりに花を咲かせたタンポポの群れの上を駆けていく。

 昨日、紙ひこうきを作るのに丁度いい紙が手に入った。使っていいか許可をとるとすぐに、その場にしゃがみこんで折り始めた。誰にも教えていない、繰り返し実験して見つけた、良く飛ぶ折り方。

 走りながらもう一度折り目をつける。つまずきそうになりながら、風をつかめる小高い丘へ急ぐ。そして、薄い雲の切れ間からヒバリの声が降ってくるその場所に立った。
 すぐにでも飛ばしてみたい気持ちを抑え、良い風を待つ。乱れた呼吸を落ち着かせようとするのだが、うれしくて一人笑いが漏れ、腹がむずむずしてくる。周りに人の姿は見えない。軽い風が吹いた。この風じゃ駄目だ。今度のは少し強すぎる。もっと、こう…。
 そのとき自然と右腕が上がり、紙ひこうきがすぅっと自分の手から離れていった。
 良い風がくるのが分かったみたいだった。紙ひこうきが風を呼んだ。安定して飛ぶ、その姿を追いかけた。うれしくて言葉にならない声を出して走る。紙ひこうきと太陽が重なるほどに追いつき、まぶしさで少しつまずいた。それでもかまわず走り続ける。
 いつもならもう落ちてしまっていて、再び良い風を待っているはずなのだが今回はどうだ、まだ飛んでいる。こんなに長く飛んでいるのは初めてだ。

 ホトケノザとナズナの勢力争いが視界に入っている。よそ見をしたその瞬間に落ちてしまいそうで、目が離せない。――目の前のことに一生懸命だった。
 走っても走っても誰もいない。自分と紙ひこうきだけが動いている。追いかけるのをやめたら、一瞬でも目を離したら、すぐに落ちるんじゃないだろうか。でもまだ飛んでいる。――もう長いこと走ってきた。
 こんなにすごい紙ひこうきを誰かに見てほしいけれど、今は追いかけなければ。こんなにすごい紙ひこうきを作った自分を誰かに自慢したいけれど、今は追いかけていたい。――不思議と疲れは感じない。
 少し上の方は風が狂っているのか、紙ひこうきがぐらつく。高度を下げた紙ひこうきに腕を伸ばす。
 「ぅあっ、落ちるなよぉ、頼むから――」
 走って、走って、追いかける。まだ飛べる、まだまだ飛べる。走るから、追いかけるから、飛んでくれ――


    「‥っひ…こうき、落っこっ…ちまぅ…」


 「戦争ん時のこと思い出してるのかもな、じいちゃん」
 清潔な白さを放つ病室。宙をつかもうとしているじいちゃんの手を取りながら父さんがつぶやく。

 「じいちゃんは…」
 そう言いかけた僕に父さんが振り向く。
 「…何でもない」
 足をぶらぶらさせながら、花瓶に挿してあるスイセンの花を見る。じいちゃんが育てた花。
 
 「最期くらい、いい夢見られたら良いのにな。それだけ、戦争が大変だったんだろうな」
 スイセンから目を父さんに戻す。父さんより僕のほうが、じいちゃんの気持ちを分かっているような気がした。
 父親をじいちゃんと呼ぶようになった父さんの気持ちは分からないけれど。

 そのまま、じいちゃんは紙ひこうきを追いかけていってしまった。


 真っ白ではないけれど、当時にしては上等な紙。僕が教えてもらったとおりの折り方で、今よりもっとずっと高かった空を飛ぶ。
 紙ひこうきの行き着く先には、腰の曲がっていないばあちゃんが笑顔で立っていてほしい。






 【終】













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