不自由な左手 (東 鶴) 鈍い音をたてて、左手が軋む。 動かそうとする度に、酷く不愉快な音を奏でる左手は、ともすればばらばらに崩れてしまいそうだった。 あまりにも思い通りにならないので、まるで其処だけが違った生き物や、付けたての義手になった様な錯覚さえ覚える。 辺りはもうすっかり茜色に染まっていた。 いつもと変わらない帰り道、俺は不自由な左手に苛々しながら、長く伸びた二つの黒い影をひたすらに見つめていた。 「――中沢、」 「あ?」 ふいに名前を呼ばれ、自分が意識していることを感づかれた気がして、上ずった声が出た。 そんなことは気にも留めていないらしく、こいつは俺の眼を見ながら訊ねてくる。 「やけに上の空だね。気になることでもあるの?」 「……や、別に」 「そう? ならいいけど。さっきから何も喋らないから、何かあるのかと思って」 「何もねぇよ、気にすんな」 気になることがないと云えば、嘘になる。 ずっと躊躇っているのだ。自分の左手を伸ばし、隣の人の右手を握る、たったそれだけの単純なことを。 どのタイミングで、どんな風に触れたら良いか、さっきから其ればかりを考えている。 こうして手を伸ばしては引っ込めて、を何度繰り返しただろうか。 いっそ素直に云ってしまおうか。 手を繋いでも良いか、と。 ――いや、駄目だ。恥ずかしすぎる。 「…今日の中沢、変だよね。やっぱり何かあるんでしょ?」 「本当に何もねぇって、」 自分の意気地のなさが哀しい。自分の体を、自分の意思通りに動かすことも儘ならないとは。 肝心な時に役立たずな左手だ。 そうこう逡巡している内に、帰り道もあと僅かとなってしまった。 また今日も何もない儘、こいつの背中を見送ることになるのだろうか。 「――あのさ、」 「?」 俺の不自由な左手に、こいつの右手が触れた。 「手、繋ぎたいんでしょ」 「………」 まさか、気付かれているとは思わなかった。驚きすぎて、触れてきた手を握り返せなかった。 「ん? もしかして照れてる?」 「……煩瑣ぇよ」 其れを云うのは俺の役目だったのに、と呟くと、こいつは耳聡く聞きつけて、あんたが何時までも云うわないから先に云ってやったのよ、と笑った。 【終】 |
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